「LoVE LoCAL」

Takashima-BASE
若年層の一極集中は仕事を求めて都市部に集中している。この島は人口減少の過疎と呼ばれ、日本全体で人口が減少していることから、地方は将来がない場所と・・・・しかし私はにそうは思えない。不便よりも便利を求め地方から人口流失も人口減少を加速させていると感じています。人生80年と言われますが、老後の未来のために今を犠牲にした生き方のように僕の眼には映っています。諸問題が入り組んで複雑化していることで本質を見失っている・・・・
そのような時代にあって、過疎・地方・離島という場所を選んだ理由があります。
便利を排除していくと、見えてくるたくさんの幸せ。
ローカルが実はパラダイスであることを実践から気づきをブログで書いてみたり、共感するブログなどリンクでご紹介しています。

都市部では働きながら暮らす。ここでは暮らしながら働く。

昔から住む島民の皆さんは、もっと便利で快適な島を望んでいるんだろうなぁ。
島民がたくさんいた頃と比べれば業種も減り、人口も減り商売も思うように出来なくなって閉店や廃業などで急降下なんだが、まだまだ必要物は手に入れることが可能な、便利な離島だと私は感じている。
だって30分程度で出島や長崎市内中心部に行けるんだから。
私たちは現状を理解し、この島を選んだ自己責任を持っている。
島内事業者さんや長くこの島で商売を行っている方々とお話しても、どこかズレている自分
甘えないで地域のためになる自分のやりたいことをしたい個人主義。
いづれ助成金も先細りしていくんですよ?
なので助成金で島を活性化など単発事業などに興味がないので、自治体や行政にも不満はないに等しい。
しかし島内の不平不満を聞くことが私にとって大切なことであり、島民が困っていることに手を差し伸べたいだけである。
そこには生きるためのシンプルな問題がある、行政もそこにはなかなか手が行き届かないことは明白なんです。
だって「個人的な問題は自分で解決しろ」個人差がある問題は自治会やそこに住む人々で解決していかなくていけない時代がそこまで来ているんですよね。
そこに気がつけば島で生きる「ある事」に気がつくんですよ。
それをいっぱい探し出しました。
生きることをシンプルに考えれば答えは導き出される、それの感じ方は人それぞれであり個人主義で多様に解決方法があるんです。
楽しくてしょうがない島暮らし、お金への執着を捨てれば答えは見えて来ますよ。
 

エクアドル新憲法・・・・

研究されているサイトに書かれていた内容を抜粋します。
(参考:http://cade.cocolog-nifty.com/ao/2008/10/081012-6642.html)
 

 良き生き方

 
前文において私たちが築いていくことを決意するとして、「良き生き方、sumak kawsay」が取り上げられています。これはvivir bien としてボリビアの新憲法案でも取り込まれている概念ですが、「良き生き方、sumak kawsayを達成するために、多様性と自然との調和に基づく市民の共存の新しい形を築き上げていく」ことが第一に掲げられています。
 
 Buen vivirが訴えるのは、他の人や自然を省みず、それらを押しのけて「よりよい生活」を求めるのではない、調和に基づく自然そして人間の共存と考えられます。
 
 第275条においても、開発はこの「良き生き方」の実現を保証するためと位置づけられ、「『良き生き方』は、人、コミュニティ、民族が、通文化性、多様性への尊重、自然との調和的共存に基づき、権利を享受し、責任を果たすことを必要とする」、と定められています。

 水・食糧・環境への権利

第12条~15条では「良き生き方の権利」として水、食糧、環境そして情報についての権利が記されています。
 
 第12条では、水への人権が本源的なものであり、放棄することはできないことが定められ、第13条では食糧へのアクセスの権利を有すること、更には地域において、多様な文化的伝統に基づいて生産された食糧が望ましいことが定められています。
 
 環境に関しては、第14条で生態的に安定した、健全な環境の中で生きる権利を確認し、環境保護、生態系、生物多様性、国の遺伝子資産総体の保全、環境破壊の予防、劣化した自然空間の回復を、公益であることを宣言しています。
 
 更に第15条では、環境に対してクリーンな技術の利用と代替エネルギーの利用を促進、また生物・化学・核兵器の開発・生産・保持・流通・輸入・通過・保管及び利用を禁止し、核廃棄物や有毒廃棄物の領土内への持ち込みを禁止しています。加えて、健康あるいは食糧主権、生態系に影響を及ぼす恐れのある遺伝子組み換え生物も同様に禁止されています。 

 「自然の権利」 

 第71条~第74条では「自然の権利」が規定されています。
 
 第71条では「生命が再生産され、実現される自然、パチャママは、総体としてその存在と維持そして再生を尊重される権利を有する」と定めています。自然自体の権利を認めるという憲法は画期的なものであり、BBCは世界で最初の憲法であると報道しています。また第15条に加え、第73条でも遺伝子資産を決定的に改変しうる生物、有機・非有機資材の導入を禁止しています。
 
 第395条から第415条にかけても「自然と環境」についての章がおかれ、ここでは環境に影響のある国家の決定に先立つ協議、環境への損害への対応などが定められています。生物多様性について、例外規定を設けつつも、「遺伝子組み換え作物のないエクアドル」を宣言するとともに、生物多様性に関連する集団的な知識に基づく生産物に対して、知的所有権他の権利の承認を禁止しています。また「土壌」に関しても、公益であり、国家の優先課題であると定めています。しかし環境の重視の一方で、第407条においては自然保護区であっても、非再生資源の開発に一定の可能性を残しています。

 先住民族の権利

 
 先住民族の権利については第56条から60条、及び先住民族の司法制度について第171条が定めています。こちらについてはまた後日検討したいと思います。

 開発の制度

 
 開発のための制度については第275条から第339条にかけて定められており、第275条では「良き生き方」の実現を保証するためと定義され、第276条では公正・民主的・生産的・連帯・持続に基づく経済システムの構築が目的の一つとして打ち出されています。それは開発の利益と生産手段の平等な分配と尊厳のある安定的な雇用の創出に基づくものとされています。

 食糧主権

 
第281条が食糧主権について定めています。全ての人及び民族に健康的かつ文化的に適切な食糧自給の達成を保障するため、食糧主権は国家の義務であり、戦略的な目標であると定められています。
 更に、中小規模生産者の促進、輸入食料への依存を避けるための政策の適用、多角化、生態的な技術また有機の促進、農民に土地、水と言った生産資源へのアクセスを可能とする分配政策の促進、農業生物多様性の保全と回復の促進、公正で連帯的な食糧の分配と流通を可能にするシステムの創出などが定められています。

 
一番私が関心を持つのは、島の中で会議や打ち合わせを幾度となく行っているが、最終的にコチラの意思とは違う報告になっているように感じることが多い。
話をしていて、いい加減に聞いている人間、話している内容を理解できない人間、話している言葉の表層だけ聞いて、自分の意見を押し付けてくる人間がいるが、上司や関係する人間への報告なども、シビアな人もいればゆるい人もいる。
 
報告内容がゆるいと、報告全体を分析した結論も相談者の意思とは異なる。

直接話した人から報告する人のセンスが問われる。

これまでの経験上、報告は楽観的な見方の人間が行えば、受けても軽薄な楽観的なものになったりする。
 
太平洋戦争時で有名な話だそうだが。
日本のパイロットの報告を総合して、米軍艦隊を撃滅したと結論付けた報道がなされた、その翌日に、米軍艦隊がそっくりそのまま姿を現したことがあった。
 
組織内では、部下は上司にうそをつくのだ。
 

多くの人の心の中には、理想の自分と本当の自分があります。

本当の自分は、醜い姿ですが、心の底では、それが本当の自分とは認めたくないので、意識しているかいないかにかかわらず、理想の自分を、さもそれが自分の本当の姿であるかのように、周囲の人に認めさせようとしています。
そのために付くのが嘘です。
 
嘘をたくさん付くことで、厚化粧の様に自分の周りに防壁を塗り固め、必死になって、理想の自分(偽りの自分)を守ろうとします。
しかし、その罠に陥れば陥るほど、現実の自分と、偽りの自分のギャップに苦しむことになります。
自分では完璧に偽りの自分を演じているつもりでも、他の人から見ると、隙だらけで、嘘はすぐにばれてしまいます。
人によっては、長年の習慣で、それが全くの無意識で行われている人もいます。
そんな人は、既に自分を客観的に見ることも出来なくなり、視野が近視眼的になっています。
ですから、自分の嘘を、嘘とも意識せずに吐露しているのです。
 
現実の自分を謙虚に見つめ、それを受け入れることで、嘘をつく必要がなくなるし、ギャップに苦しむ事も無くなります。
偽りの自分を守ろうとすることは、全くの徒労であり、無駄な努力だと思います。
 

人間誰しも、人に認められたいと思っています。

政治家や官僚が、保身を図るのは、人に認められる、その立場を守るためです。
詐欺師がお金をだまし取るのは、生活の為もあるでしょうが、目的を突き詰めれば、「お金をたくさん持っている」「人を出し抜く」=能力があるという虚栄心を満足させるためかもしれません。
サラリーマンが人を蹴落として、社長を目指すのも、同様の心理です。
一概に、金や名誉を求める者は、人に認められたいという、切なる欲望に支配されています。
しかし、死んでしまえば、金も名誉も虚しいだけです。
そんな事のために、心の平安を犠牲にして、人は嘘をつき、一生を虚栄の世界のために捧げます。
人は、金や名誉を得れば、幸せになれると勘違いしていますが、そのために嘘をついて、自ら不幸を呼び寄せています。
嘘さえつかなければ、心の不安は解消するのに、多くの人は、それに気付きません。
自分がつく嘘を、自分さえも信じ込む事ことによって、自分自身を欺き、しかもその嘘がばれることを恐れています。
 

ありのままを認めれば、人間は本当は、生まれながらにして、素晴らしい存在なのに。

嘘を口にするのは、とても虚しい事です。(嘘から口偏を取れば=虚しい)
嘘という漢字を考え出した人は、そのことを良く理解していたようです。

 

昼下がりのキャンパスに300人以上の学生と多くの市民が集まりました。
ウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカ氏の講演を聞くためです。
ホセ・ムヒカ前大統領は、その質素な暮らしぶりから「世界でいちばん貧しい大統領」として知られ、2012年にブラジルのリオで行われた国連会議でのスピーチでは「世界が抱える諸問題の根源は、我々の生き方そのものにある」と説いて、世界にその名が知られるようになりました。
そんなムヒカ氏が先日、書籍『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』(角川文庫)の発売を記念して初来日を果たし、東京外国語大学(東京都府中市)で講演会を行いました。
80歳を迎えたムヒカ氏が、真剣な眼差しで聞き入る学生たちに語ったのは「世界を変えるために戦った経験から得られた4つの教訓」です。
以下、日本の若者に向けたムヒカ氏の言葉をまとめました。

1. 消費主義に支配されるな

現代の消費主義に支配されてはいけません。
でもこれは、言うのは簡単です。
消費主義は、蜘蛛の巣に引っかかるようなものです。
企業はこれを買え、あれを買えとあなたにお金を使うように仕向けてきます。
それに甘んじてモノを買い続ければ、あなたはもっとお金を稼ぐために、もっと長い時間を、お金を稼ぐために費やすことになるでしょう。
そうなると、あなたの自由な時間はどんどん減ってしまいます。
 
本当に必要なものだけを買うようにしてください。
そうすれば、あなたの自由な時間はもっと増えます。
貧乏とは、多くのものを必要だと思ってしまう心のことです。
無限にモノをほしがってしまう欲こそが「貧しい」ということなのです。

2. 歩き続けよ

人生でもっとも重要なことは、勝つことではありません。
歩き続けることです。
それはつまり、転んでも毎回起き上がること、新たに何かを始める勇気を持つということ、何かに打ち負かされたときにまた立ち上がるということです。
私は若い時、世界を変えるために戦いましたが、残念ながら世界を変えることはできませんでした。
そして私は牢獄に入れられて10年以上を過ごしました。これは私にとって非常につらい時でした。でも、その辛い時間がなかったら、今の自分はなかったと思っています。

3. 同じ志を持つ仲間を見つけて闘争せよ

社会は集団というツールがないと変わりません。
もしあなたが今の現状に不満を持っているなら、同じように不満を持っている人を見つけて仲間にしてください。
仲間を集めて集団を作って主張すれば、大きな力はなくても、社会に意識を植えつけることができます。
これまでも、社会はこうして少しずつ変化してきました。
100年も前は、労働者は15時間も18時間も長時間の労働をするのが当たり前でした。
そんなとき、ある人がこんなことを言い出したのです。
「1日の労働時間が8時間にして、寝る時間は8時間必要で、それ以外のプライベートな時間が8時間は必要だ」と。
当時の人々の多くは「コイツはなんて頭のおかしいことを言うんだ」と思ったことでしょう。
でも、その人は仲間を集めて、闘争を始めたのです。
今では8時間労働が当たり前になっていますが、自由な時間のために戦った人がいるのです。今ではそんな闘争をした人は忘れ去られているのかもしれませんが、彼らは闘争することで他の人の意識を変えたのです。
社会が変わり続ければ、1日の労働時間は4時間が当たり前になることも十分起こりうることです。
日本では、人々があまり希望が持てないと聞きました。
若者の多くが投票にいかないそうですね。
彼らは、社会が変化するということを信じていないのでしょう。
何か魔法のようなものが社会を変えてくれると考えないでください。
あなたと同じ志を持つ人はたくさんいます。
仲間を見つけて集まってください。
そして、戦ってください。

4. 自分の利己主義を抑えよ

私は「最後の審判」を信じていません。
でも何らかの人生の時点で、鏡の前に立ち止まって自分自身を見つめるときが来ることはあると思っています。
そんなとき、これまで何かをやろうとして、何度も失敗したけど、行動に移した数々のことを思い出すかもしれません。
「100やりたかったことがあるとすれば、5しかできなかったけど、行動に移すことができて有意義だった」と思えるかもしれません。
でも反対に、「私は人生で何もしてこなかった」「私の人生は浪費の連続だった」、「誰に対しても、手を差し伸べなかった」、「誰かのために時間を費やすことなんてなかった」と思うこともあるかもしれません。そんな人は、鏡の前に立ち止まったとき、自分の姿を見て失望するでしょう。
そこに映っているのは、自分のエゴイズムでしかないからです。
すべての生命はエゴイズム(利己主義)を持っています。
それは自分自身を守るために、自然が私たちに与えてくれたものです。
でも、人間はひとりでは生きていけません。
必ず他者を必要とする生き物なのです。
他人に勝つために戦うのはやめてください。
そうではなくて、自分自身の心の中にあるもののために戦うのです。
 
講演や質疑応答の間、ムヒカ氏が何度も繰り返していたのは「闘争せよ」という言葉でした。
「闘争を生まないことが理想だ」と教えられてきた人にとって、この言葉には抵抗感があるかもしれません。
でも、ムヒカ氏はこう続けます。
 
あなたが生きている限り、他者との衝突は避けられません。
大事なのは、コンフリクトを起こさないことではなく、どうやってコンフリクトを解決していくかということです。
あなたが闘争しないと社会は変わっていかない。
 
ムヒカ氏のメッセージは、平和すぎる日本に向けられた警笛なのかもしれません。

(文/大嶋拓人)
Photo byFlickr

今の生活スタイルが間違っているという訳ではありません。
現代社会の経済システムに依存しすぎて大量生産や大量消費・大量廃棄の環境、人生で成功させることばかりに集中すると、人は人生で大切なことを見失う。
 
 
物があふれ、物にかこまれた中でもまだ物足りず、いかに自分の所有物を増やすかということに執着する混沌とした社会。
笑顔の裏で泣いている人がどれだけ多いことか。
その社会の隅で、なににも怯えることもなく自信に満ち溢れ生活をする人々がいる。
 
我々は少なくとも島民の幸せな生活を奪う移住者(侵略者)であってはいけない。
そのためにも先人らが何を拠り所に生きてきたのか知っておく必要がある。
 
 

夕張市は2007年に財政破綻した街です。
この時、都市の財政が破綻することもあるんだなぁと驚いたど同時に、公共のサービスはどうなるんだろうかとか、税金は今後いくらになるのだろうか、めちゃくちゃ高くなるだろう、そして公務員数や議員数は激減、給料も激減だろうと遠くから心配していました。
 
公立病院は当然お金がかかりますから縮小の憂き目をみます。
破綻の原因、経緯は今日は省きます。(これはこれで何やら闇を感じはします)
下に動画がありますのでご覧ください。
 
なんと!高齢率45.6%!
夕張市の高齢率は45.6%だそうです。
ところで、社会を分類する時に人口に対して老年人口(65歳以上)の割合によって「高齢化社会」と「高齢社会」と「超高齢社会」とに、今のところ分けられます。
 

「高齢化社会」とは人口に占める65歳以上の割合が7%を超えている状態です。

 

「高齢社会」とは人口に占める65歳以上の割合が14%を超えている状態です。

 

「超高齢社会」は人口に占める65歳以上の割合が21%を超えている状態です。

 
 45.6%の夕張市はなんと呼べばいいのでしょうか?
 

『超ウルトラスーパー高齢社会』とでも呼ぶべきすごい比率です。

ちなみに、日本は2007年に既に21%を超えていますので「超高齢社会」に突入しているわけであります。
今後日本全体の予測ですが2020年には29%、2030年には36%を超える見込みです。
それでもまだ現在の夕張市には追いつきません。いかに夕張の高齢率が高いかがこれだけで想像できます。
 
あきらめずに努力工夫した!
ここからが夕張市民のすごいところです。

「行政が○○してくれない」

などというお上にすがる日本人伝統の考え方をズバッと棄て去りました。
もはや行政に頼ることはできない。
であれば、自分たちで知恵を出して考えようじゃないか。

 
そうだ!
病気になっても病院がないのだから、病気にならないように努力しよう。
 
 健康を維持する努力を心がけよう。
 
 命の限界を知ろう。死は誰にもやって来るからそれを受け入れよう。
 
 こういう発想に変わったのです。
 
 「してくれない」という「くれない族」から脱却し、自立共存のためにどうするかを考えたのです。現実にその努力が実って、『超ウルトラスーパー高齢社会』でありながら、病人の数を減らしているのです。
 
森田医師の話を聞いてみましょう。
 
医師が熱く語る!

【医療 ドキュメンタリー】

医療 の根本的な疑問!病院が少なくなったら死亡率が低下した夕張市 ted 日本語

 

【医療 ドキュメンタリー】医療 の根本的な疑問!病院が少なくなったら死亡率が低下した夕張市!

 
そうなんです。
 
この夕張市は破綻したことで大変な努力をするようになりました。
 
日本も財政破綻しないと国民は目覚めないか!
弁証法的に言いますと、破綻するためにはとことん破綻するための状況に陥らなければ破綻しません。夕張市が次のステップに移るためには財政破綻が必要だったということです。
この苦い経験によって市民が目覚めたわけですから。

日本人は、往々にしてお上がなんとかしてくれる。
県が市がなんとかしてくれる。

またそうでなければならないと考えがちです。
ですから、思うのです。

いっそのこと一度財政破綻したほうがいいのではないでしょうか?

 
そりゃ困ることだらけでしょうよ。
 
しかし、そうでもしないと誰も目覚めないのではないかとも思うのです。
 
あれほどの原発事故があっても目覚めない人がたくさんいるのですから、もう一度か二度ひどい目にあって、国家破綻くらい経験しないと目覚めないかもしれないです。
 
目覚めるために必要な状況を作り出さなければ目覚めるという次のステップには移行できません。
 
今の状況では目覚めないのですから、今後もっとひどい状況を作り出さないといけないでしょう。
そう考えると、日本人全体が覚醒するためには、今よりももっとひどい社会に陥ることが必要ということでしょうか。
 
もっとバラエティと食い物ばかりのアホバカ番組を流して、もっと礼節を失って世界にバカにされ、もっと3S政策(セックス、スポーツ、シネマで国民を考えない羊にしてしまう政策の事)を押し進めてる必要があるでしょう。
あ、いかん、その時は気づいても手遅れか、、、。
 

平成28年2月5日
木村

島暮らしを始めて色々な人とお話をして、自分の「お金」に対する考え方が人とは違うことが多いということを感じています。
ちょっと僕の思う、お金についての考え方をまとめます。
 
タイトルの通り、僕は「お金というのは、物々交換の意味を知らないといけない」と思っています。
 
昔、お金というものがなかった時代。
人間がどういう風に社会システムの中で生きてきたかというと、学校で習った物々交換だったわけです。
狩りが得意な人が肉を、魚獲りが得意な人が魚を、肉と魚を交換すればよかった。

自分の得意なことをすることで他人に感謝される社会システムだったんですね。
その人間の得意とすることで、不得意の人間がいる社会へ奉仕する。
それがシンプルな物々交換です。
しかし物にあふれた現代社会ではこのシステムだと、すごく不便だという社会になったんですね。
物を企業が作ることで、大量生産し大量に販売し、大量に廃棄させ、また新しい物を買わせる時代。
お金を得て、生活することが便利なお金中心の社会になっています。
社会に対して何かの価値を提供し、その価値に対応するお金が手に入る。
だから、お金を稼ぐためには、自分が「社会に価値を提供する」ということをしないといけない。

 

「社会に価値を提供する」すなわち、「仕事」となるんだと思います。

 
まぁ〜多くの方は「時間という命」をお金に変えているわけですが・・・・・
だから、お金を稼ぐにはと考えるより先に、どうしたら自分が社会の役に立つことができるかを本来一番に考えないといけない。
お金は、その結果でしかない。
 
お金にまつわる色んなセミナーがありますが、「自分の夢を実現するためにどうやってお金を稼ぐか」という内容であれば、みんな、自分の年収をいくらにするとか、どれくらいのお金を手に入れるとか、自分中心の発想から始まります。
そうしてお金を稼げるような価値(仕事)に、自らを無理に合わせていく(労働)
それって社会から自分にどうやってお金を得る道具のことしか考えてなくて、自分が社会に対してどんな価値を提供できるかが抜けている。
 
お金って、社会から感謝された評価を数字にしただけのものなんだと思っています。
社会に対して自分が価値を提供する、それがお金になって返ってくる、それを使って自分は社会から別の価値をもらい対価としてお金を払うという生き方です。
だから「お金のために働く」っていうのは、本末転倒であり、そんな人生は僕はいやだなって思う。

 
島暮らしにおいて「自分のやりたいことで、島に価値を提供し感謝される」という、生活空間で人生を大切に生きたいと思っています。
都市部ではその競争は激しく大変ですが、自分の価値がその土地に能力が合わさったものを探して、それを自分のビジネスにできたらいいですね。
 
現実問題そんなことが簡単に、やりたいことがお金になるわけがないと考える人もいるでしょうが、少ない人口の島、少子高齢化の働き手の少なさや職業の少なさの中で見つけることは意外と簡単だったんです。
 
でもね根本に、自分がどんな哲学でライフスタイルを持っているか、これからどんな仕事をして、どんな価値を、社会(島)に提供できるか。
それを一番に考えないといけないと思うのです。
 お金は使う時も相手に感謝なんだよ。

 

平成28年2月1日
木村

2月1日は24歳の頃石巻から勤めていた会社の転勤で仙台へ、人生のターニングポイントだったなぁと朝に思い出したので書いておこうっと。
 
今回九州へ移住してみてわかったのは、人生を育てるときは悩みすぎて、あれやこれや手をかけ過ぎるとよくないということ。
うまくいかないときは心配になって、将来を悲観したり、考え過ぎたりしがちですが、こういうことはかえって移住に逆効果であることが多いようです。
 
私たちも不安や心配をして悩んでいた時期があったのですが、それよりも「今最も大事なことは?」と目の前の1つ1つを丁寧に対応し、その他の問題は放っておいたらいつの間にか元の問題すらなくなっていました。
 
育ちは東日本、環境や気候にすぐには対応できないのが当たり前、風習など理解していないので判らないのが当たり前。
それでも時間をかけていけばそれなりにその土地の風習を理解し、気候に合わせて心も体も頭も地域の皆様のお力で育っていくのです。
 
当初は心配もあるでしょうし、思考することは大切ですが心配し過ぎはダメですね。
移住のコツは少しゆっくり様子をみていく事だと思いますよ。
 

 
平成27年10月18日 
木村
 
僕らの島での考え方やその生き方の根本的なことを知って欲しい。
 
今日紹介したいのは、まさに経済主義から個人が脱却するということを、ウルグアイ40代元大統領ホセ・ムヒカ大統領が「日本人へ」とインタビューに応えた動画の中で同じ思考を言葉にしてくれています。
またムヒカさんが、動画の中で魂を失ったその時代の、ちょっと前グラバーが高島に降り立った場所としてこの「高島町」が魂を失った日本のスタートだったんですよね、魂を失った最初の場所が「高島」となることに感慨深いです。動画の和訳をご紹介します。
 
 

幸せとはモノを買うことじゃない。

ペリー提督がまだ扉を閉ざしていた頃の日本を訪れた時の話さ
当時の日本人は「西洋人を泥棒」って思っていた時代だね。
あながち間違いじゃなかったけどね(苦笑)
賢い政策で対応したとは思うよ
 
西洋にある進んだ技術に対応できないことを認め
彼らに勝る技術を作ろうと頑張ったんだ。そしてそれを成し遂げてしまったんだ・・・・実際にね。
でもその時日本人は魂を失った
「その日本人の魂とは・・・」
人間は必要なものを得るために、頑張らなきゃいけない時もある。
けれど必要以上のモノはいらない
 
幸せな人生を送るには、重荷を背負ってはならないと思うんだ。
長旅を始める時と同じさ
長い旅に出る時50kgのリュックを背負っていたら
たとえいろんなモノが入っていても歩くことはできない
 
よくわからないけれど
100年前150年前の日本人は私と同意見だったと思うよ。
今の日本人は賛成じゃないかもしれないけどね。
 
ナレーション
多くのものを持たなかった日本人 「足るを知る」を美徳とした文化
番組MC

「今の日本についてどうお考えですか?」

ムヒカさん
産業社会に振り回されていると思うよ
すごい進歩を遂げた国だとは思う
だけど本当に日本人が幸せなのかは疑問なんだ。
西洋の悪いところをマネして、日本の性質を忘れてしまったんだと思う。
日本の文化の根源をね。
 
幸せとは物を買うことと勘違いしているからなんだよ。
幸せとは、人間のように命あるものからしかもらえないんだ。
物は幸せにしれくれない。
幸せにしてくれるのは生き物なんだ。
 
私はシンプルなんだよ。 
無駄遣いしたりいろんな物を買い込むことが好きじゃないんだ。
その方が時間が残ると思うから。もっと自由だからだよ。
 
なぜ自由か?
 
あまり消費しないことで、大量に購入した物の支払いに追われ、必死に仕事をする必要がないからさ。
根本的な問題は君が何かを買うとき、お金で買っているわけではないということさ。
そのお金を得るために使った「時間」で買っているんだよ。
請求書やクレジットカード、ローンなどを支払うために働く必要があるなら、それは自由ではないんだ。
 
ナレーション
「幸せに暮らすため、自由でいるため、みんなが物を欲しがらない暮らし」
しかし現代においてそのような暮らしは可能なのだろうか?
「その世界は実現可能だと思いますか?」
 
ムヒカさん
とても難しいね・・・・・
君が日本を変えることはできない
・・・でも自分の考え方を変えることはできるんだよ。
世の中に惑わされずに、自分をコントロールすることはできる
 
分かってくれるかな?
君のように若い人は、恋するための時間が必要なんだ。
子供ができたら、子供と過ごす時間が必要だし、友達がいたら友達と過ごす時間が必要なんだ。
 
働いて 働いて 働いて職場との往復を続けていたら、いつの間にか老人になって
唯一できたことは請求書を払うこと、若さを奪われてはいけないよ。
 
ちょっとずつ使いなさい、そうまるで素晴らしいものを味わうように・・・・
生きることにまっしぐらに。
 

 ■アルジャジーラ:ホセ・ムヒカ(Jose Mujica)インタビュー

ウルグアイは南アメリカ東中部の大西洋岸の小国(人口約350万)で、1828年にブラジルから独立、公用語はスペイン語です。大統領ホセ・ムヒカ(1935年5月20日生れ)は、カストロのキューバ革命に刺激されて反軍事政権のゲリラ武力抗争に身を投じて合計6つもの銃創を身に印して、1970年から1985年まで投獄され、その16年間の15年は独房で苛酷な取り扱いを受けました。そのことはインタビューでも語っています。アルジャジーラのインタビューの見出しは“私は必要以上の給料を得ている。(I earn more than I need.) ”となっていますが、大統領としての月給は一万二千ドル(US)で、その90%を福祉事業などに献金しています。奥さん(上院議員)の農場の一隅の慎ましい家屋に三本足の愛犬と一緒に住んでいて、その様子もインタビューの動画に出てきます。別の英国のBBCの記事(表題は「世界で最も貧乏な大統領」)にはウルグアイの豪勢な大統領官邸の写真が出ていますが、彼は官邸入りをしませんでした。
http://www.bbc.com/news/magazine-20243493 
 
さてアルジャジーラのインタビュー番組で、大統領ホセ・ムヒカのインタビューをしているのはLucia Newman という当年61歳の知名の女性ジャーナリストです(以下ではLNさんと略記)。1ダースほどの話題が含まれていますので、順に要約します。
 
動画では、まず、LNさんによる「世界で最も貧乏な大統領」ホセ・ムヒカの紹介から始まります。彼はウルグアイを世界で初めて麻薬マリファナを合法化した国にして世界を驚かしましたが、最近の国連総会での彼の講演も結構刺激的でした。マリファナのことは会話の中で出てきます。国連での発言については、後ほど触れます。LNさんは、大統領の身辺にいるのは三本足の愛犬マヌエラだけで、執事もボディガードもいないと報じます。
 
「なぜ貧乏生活をしているのか」という質問に対して、彼は「貧乏なんかしていない」と答えます。
 
LNさんは英語を使って質問していますが、大統領はスペイン語で答え、画面に英語の字幕が出ています。それを以下に書き写し、時々訳をつけることにします。飛ばしてしまった発言もあります。
 

■貧乏じゃない。質素なだけだ。

 いや違う。私を貧乏だと言う人たちこそ貧しいのだ。貧乏人というものの私の定義は、必要とする物が多すぎる人たちということだ。
私は質素に暮らしているが貧乏ではない。
 私は私の属する政治グループや独身の母親たちのための住宅事業といったプロジェクトなどに寄付をする。
私にとってそれは犠牲ではない、義務なのだ。
 
LNさんの次の質問は、マリファナの合法化
それは麻薬売買との戦いの一つの実験だ。 
麻薬は広がってしまい、暴力が社会を蹂躙してしまった。
 薬を売っている薬局で人それぞれの分量を提供している。登録した人たちに一月分。
もしある個人がそれ以上に欲しがれば、その人は治療が必要だということになる。
我々はそれを健康問題として処置するということだ。
LN:「しかし、人々がもっと強い麻薬、例えばコカインを取るのをどうやって止めるのですか?」
LNさんが「マリファナの合法化に米国や国連は反対の圧力をかけて来ませんか」
と聞くと大統領は「それはない」と答えます。
麻薬は病気だ。私は、良い麻薬があるとか、マリファナは良いとか考えていない。
 タバコもいけない。中毒でいいものなどない。私は酒も含める。
唯一良い中毒は愛だ。ほかのことは忘れてしまいなさい。
 
話題はムヒカ氏の過激な過去に移ります。自らを平和主義者と名乗る若いマルクス主義闘士はなかなかイカす風貌です。体に6発も銃弾を受け、苛酷な独房生活は彼の精神を狂乱の瀬戸際にまで追い込みました。
 

■過去の反軍事政権武力闘争

私は独房で長年過ごしたから、耐え抜くために私自身の内部に隠れ場所を見つけなければならなかった。
信念があれば人間は強い動物だ。多分私は少々原始的だ。
多分私には原始的な強さがある、私の祖先たちが生んだ、水呑み百姓の子としての過去が生んだ強さだ。
だが、何とか彼らが私に読書を許すようにさせた。7年の間、私は読書を許されなかったのだ。彼らはとうとう物理学や化学の本を私に与え、それで私は心のコントロールを取り戻し始めたのだった。
 
次の話題は、ホセ・ムヒカが試みているコロンビア政府と反抗勢力との間の和平の仲介です。コロンビア共和国は北米大陸から南米大陸への入り口の所にあり、その名はコロンブスから来ています。ここでもキューバ革命に刺激されて1960年代からELN(Ejército de Liberación Nacional, National Liberation Army)やFARC(Revolutionary Armed Forces of Colombia)などの左翼ゲリラが勃興してごく最近まで武力抗争を続け、一種の内戦状態にありました。米国によるコントロールが大変強かったウリベ大統領に代わって、2010年8月、ウリベの下で防衛大臣であったサントスが大統領に就任し、左翼ゲリラ勢力に対する政府の態度に変化が見えています。
 

■コロンビア政府と反政府ゲリラ勢力との和平仲介

 
LNさんが「あなた自身が左翼ゲリラの一員だったのに、コロンビアで50年続いて来た抗争の和平仲介を買って出たのは何故か」と問うと、ムヒカ氏はコロンビアの人たちの苦しみを思っての事だと答えます。
 コロンビアはその地域に干渉している米国の悪名高い軍事支援を受けてラテン・アメリカで最強の軍隊の一つを持っている。
遠くから見ていると、それは解決策のない戦争で国全体が長い間犠牲になっているように見える。
だから平和への道を開こうと試みる大統領が出現したとなると支持しなきゃあと私は考えるのだ。苦しみは充ち満ちているし、もしお互いにこれまでの恨みを晴らそうとしたら戦争はいつまで経っても終らない。
 
LNさんが「あなたが体に6つの被弾痕を持つ元ゲリラだから信頼されるという面がありますか」と聞くとムヒカは次のように答えます。
 次の話題は新しいローマ教皇フランシスコに関してです。就任は2013年3月13日、アルゼンチン、ブエノスアイレスの出身,1936年生れの本年76歳。教皇としての名前はアッシジの聖フランシスから来ています。アッシジの聖フランシスのことをあまりご存じない方は是非少しお調べ下さい。イエス・キリストに最も近いともいわれるこの聖人の人間味にはほのぼのとした温かさがあります。
 

■堕胎、同性婚の合法化、無神論者、教皇訪問

 
LNさんは次にムヒカ大統領のフランシス教皇訪問を取り上げます。「あなたは既にマリファナ、堕胎、同性婚を合法化し、それに、ご自身は無神論者、ローマ法王庁はこれらすべてに断固反対なのに、なぜ新教皇フランシスを訪問したのですか」という問いに対して、ムヒカは答えます。
 彼の人間性だな。
 この教皇はただ者じゃないと認めざるをえないな。大したお人だ。
 だから人として私は教皇に対して甚大な敬意を抱いている。
「コロンビアに平和をもたらすよう教皇に頼みましたか?」
何故なら彼は社会に、特に、コロンビアの田舎の最下層の人々の間にとても深い浸透力を持っているからだ。
ムヒカ大統領は、人間一般の歯止めのかからない消費中毒を何とかしたいという強い気持を持っています。彼の大きな持ち物は古い農業用トラクターと1987年のフォルクスワーゲン「ビートル」、しかも週末にドライブするだけです。「みんな都会に住んで車を乗り回し、交通を渋滞させることで人生の半分を浪費している」と彼は言います。
 

■消費中毒

 それでも発展途上国は発展を続けるべきだとあなたは考えているのではないかという質問に対して、
私は消費に反対しているのではない。浪費に反対しているのだ。
もし有力者の誰もが3つ、4つ、5つと車を持ち、住むのに400メートル四方の広さが必要で、海浜に別荘、あちこち飛び回るための飛行機が要るというのなら、とても物が皆には行き渡らないさ。
もし現在の世界中の人が平均的アメリカ人のように消費しようと願うのなら、地球が三つは必要だろう。 
この大統領の熱のこもった答えに対してLNさんは「それでも人々は浪費を続けている。ここから1時間ほどの所には、プンタデレステというラテン・アメリカのサントロペ(南仏の有名なリゾート)といわれる豪奢なリゾート地が栄えているけれど、あなたはそういう状況を制限しようとはしていない。したくないのか、それとも、出来ないのか」と問いただします。
 
「しかしこれまであなたはそれを変えようとしなかった」
なぜなら、もし私が他の人々に私の生き方を押し付けようとしたら、彼らは私を殺すだろう。
 「多分」とLNさんは同意します。
彼らは私を殺す。わかっている。
 「あなたは、とりわけ友人チャベスの死後、ラテン・アメリカ南部を代表する声になりつつあるご様子だけれど、いったい何をやりとげたいと考えておいでですか」
私の目標はウルグアイ内の不公平をちょっぴり減らすこと、最も弱い人々を助けること、そして、一つの政治的な考え方、次代に伝え、前進するのに役立つような未来への視線のあり方を残すことだ。
ムヒカ大統領はLNさんに少々荒れ気味の農場を案内しながら、大統領を辞めたら又百姓仕事に戻り、農場技術学校を作ろうと思っていると話します。まだ任期は一年あるのですが、留任は考えていないようです。
 
「右翼も左翼も政権にしがみつくのに、あなたは何故あっさり辞めようとするのですか。権力は必ず腐敗すると考えるからですか」とLNさんは質します。
私は共和制主義者だ。
共和政体は、天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らないことを示そうとするために存在する。大統領は一つの役目を遂行するために選ばれた上層公務員だ。
大統領は一人の公僕だ。そうした者として、彼は職を辞し、交替させられるべきだ。私は再選に反対です。

 ■恐れ戦く米国

 
「米国は敵だけでなく味方の国もスパイしているのは何故だと思いますか」
との問いに、ムヒカ氏は「米国はとても怖がっているからだ」と答えますが、米国はやがて良い方向に変わると信じています。その理由が愉快です。
 合州国はもうすぐ二公用語国家になるでしょう。
ラテン・アメリカ女性の子宮がじわじわと合州国を征服するでしょう。

■詩人哲学者

 「あなたは大統領であるだけでなく哲学者であり詩人でもあるから、幸福の秘密は何かを教えて下さい」という要請に対して、
考えるところに従って生きること。あなたが自分の中に持ち歩いている人間に話しかけること。それはお墓まで一緒の連れ合いだからな。
「でも、あなたは外交的であろうとはしない。時々とても非外交的だ」と言われると、
そう、私は時々づけづけと言い過ぎる。あなたの言う通りだ。
 
最後にLNさんがアルジャジーラのインタビューに応じて下さって有難うと謝辞を述べると、ムヒカ大統領は、
Thank you very much. Give a hug to your people.と結びました。
平成27年10月13日 
木村 
移住のきっかけになったのは、東日本大震災と原発事故が高島移住の最大の理由。
当初は放射能のことも原発のこともあまり関心はなかった、しかし原発事故以降ニュースや地域環境の変化から自分で考え、自らの意思で産まれたばかりの娘のために決断し移住となった。
  • 安全と言われた原発事故の嘘や偽りが露呈され、地域行政が全く機能しなかった現実。

  • 大震災時支え合って乗り越えたのは地域の住民たちなのである。

その後は自分で調べて自分の決断でことの決する大切さを改めて感じた。
ここのブログでも行政や権力者を厳しい目で見ているのもそういう経験をしたからである。
訪れた島は一部の方が保身を考えているような感じを受けた、過疎化で島民の既得権益者たちは当然守りに入っているんだろうと感じた。
既得権益を守りたい方がたを怒らせるようなことをしていたのか、当初誤解を与えてしまったのではないかと最近思う。
以前から島を思い、同じような意見の方もいたでしょうが、多少の質問くらいで残りは既得権益者がいないところでの話が多かったようです。
私自身は誰とも大ゲンカなんてしてませんし、噂話で「俺」が言っていたなど根拠のない噂話でした。
この島の住人は私よりもずっと先輩です。
その年代で島の活性化など懸命に打ち込んでいる姿を見て、これほどの高齢の方が、まだ汗をかいてらっしゃるのか…と驚きました。
次の年代50〜40代はというと・・・・少ないっていうよりもいないに等しい程度
意見を言う機会もなく、全て島の商売を行っている一部の重鎮たちによって物事が決まる。
それに行政が絡むことで既得権益者優先の案件しか現実に行われない。
いいのかそんな自治会で?

高島会議の必要性

この2年あまり地域の自治の会議やイベントなど情報は私にはないに等しい。
(観光事業やビジネスの会議はお断りしています、それは島民として暮らすことが大切だと感じ、経済よりも地域環境の改善などがテーマなので) 
行政抜きの高島島民から広く問題や今後の高島プランを分け隔てなく聞いていただく機会が欲しい。
自治会長を代表に行政へハッキリ物申す島民の会議が必要です。
そこで話し合われた案件を議員などに持ちかけて働きかけて改善していかなければと思う。
 
過疎の地において、自民系だろうが公明共産だろうが議員の政党は関係ない、議員は幅広く政党支持に関係なく働いて頂きたい。
今島で暮らす島民のための自治が全くなっていなのでこういうことを書いている。
島民同士の立場でいろいろ分断しているように感じている。
会議でもなんでも島民主導の会議はあんのかな? 
お誘いがないだけなのか?
高島の自治はまず高島島民が行うようにしてくれないか、行政は島民サポートの基本を忘れてはいけないんじゃないかな。
 
もちろん行政も色々考えているし、地域のために頑張っているんだろうと思うけど、先走りや一部の間違った情報で決めつけや勘違いで判断するのはやめてほしい、その情報は正確か自ら確認すべきである。
 
そして会議もどこかの誰かの思惑で商売や経済優先が命題のようになっているが、そんなことは商売を行っている人間が自分でやればいい、助成金目当てに商売を考えることは、自営業者として恥ずべき思考である。
 
地域のためにというのならば、自ら行動で示してほしいですね。
観光助成金主導の自治なんぞ、長続きしないばかりか、島で暮らす島民には直接関係する問題じゃないんだから。
保身すら厳しい現状、過去の経済懐古を根本的に変えなければこの島の生き残りは難しい。
 
話が逸れてしまったが、過疎において人間が少ない、高齢化で動ける人間が少ない、生活に精一杯で島のための活動もなかなかお金が絡まない限り行われないなど問題が多い。
 
この島には1年中綺麗な場所がある、草を刈っているのは同世代の方で自宅周辺からご自分の職場周辺も綺麗で、島全部がみなさんそうしているのかと思いきやどうやら違います。
 
この方は完全ご自分の意志で自分の家の通りに面した場所をいつも綺麗に掃除をしている。
 
「家の周辺が綺麗だと気持ちがいいだろう?」その理由だけである。
 
また職場周辺も「訪れるお客様が綺麗に使っていただきたいからね、島民が自分の部屋のようにしなければいけない」と言う。
 
ボランティアなどじゃない、自発的な島を思う行動するこの男性と出会い、地域への貢献がお金や命令や号令がなくなてもしなければいけないくらいに、過疎なんだと教えて頂いた。

自らの意思で行動出来る人間こそ過疎では必要な方ですね。

 島に来てから、訪れる観光客がシュノーケリング以外にもカヤックなど遊べるものを提供できないかと思っていた。
島にあったカヤックが愛好者のもので自由に使っていいですよとの好意を頂いた、しかしビジネスのためには使うわけにはいかなかったので、行政にお願いして使用していない10艇のカヤックを払い下げて頂いた。
そこからマリンレジャーの安心安全な提供を考えたら、島の海の安全は海上保安庁のみ
高島海域にはあの「軍艦島」が存在する、世界文化遺産以降訪れる客船はいつも満杯、そして観光船の数も増え続けている。
もしあの中国の観光船の事故や韓国で起きた観光船のような事故が起きた場合、この高島から救助や初期行動をどこよりも早く行えると思いました。
 
長崎水難救済会所属の水上バイク隊への加入を2014年から目指し、コンタクトを関係者で個別に取りながら、2015年津波被害遺族として島に必ず作りたい団体へと活動を開始しました。(Team Takashima Rescue)
 
スタッフのシャツも揃え、水上バイクもお陰様で2艇準備できました。
誰に言われたわけじゃなく、必要と感じて発足させた団体である。
必要な小型船舶に関わる免許や資格講習など全て取得しました。
 
地域環境の法的な勉強も行い、関係各位へのお知らせも行っておりますが、高島の行政には正式にお伝えしていません、なぜならサポートが必要じゃなかったからであり、まだ民間としての活動だからです。
 
自由な発想で瞬時に動かなければいけないので、自治体や行政は後からサポートに回って欲しい、そうして島民行政の関係をしっかり作っていきたいのです対等な立場でね。
そんな構想の中で救急艇のお仕事も関わることが出来、24時間体制でいつでも動けるようにしています。
こうやって行動出来るのも地域の皆様のおかげであり、自らの信念であり、草刈りの男性と同じ住む場所だから大切にしたい気持ち、そしてこれから地域からの信頼を得たい。
 
 島に必要なものは必ず残る、島民生活から見た地域循環型の地域をこれからも目指したいです。
2013年夏、新しい移住者行動チーム作り上げ、島の活性化や交流人口を増やすために頑張ろうとしていました。
 
昔からの今尚高齢で汗をかきながら頑張っている方が、島への思いが本物であれば、私たち新移住者たちもかなりいい勉強になっていたことだったしょうね。
 
来年にはすでに雇用生み出し事業を抱えているために法人化、しっかり島内雇用を目指し、島で支えあいながら生きていける環境を作っていきます。
これからも地域に必要なものならば、やってみよう自分でやってみよう!と思っています。
 
2015年08月06日本州とつながっていない島ですから、船で島に渡る必要があります。だからいろいろ不便な「離島」になるのでしょうが、いま僕には便利な島。
 
島へはフェリー利用、伊王島から利用することが多い、乗船時間は12分程度。都市部で生活していた時は、大半を自家用車で行動していて、交通機関はあまり使っていなかった。
せいぜいタクシーをたまに使っていた程度。だから当然のごとく「フェリー」は不便かなぁーなどと当初思っていましたが、いやむしろ使えると感じるようになっています。
キャリーカートの出番は島では買えないものの仕入れ、フェリーに持ち込む、これってバスや電車ではあまり行わない行動島の皆さんもやはりカート利用が多かったことに初めて気がつく(苦笑)長崎市内出かけたついでの買い物にはカートが便利になり、フェリーも2輪カートであれば無料で持ち込める経済性。
 

島でお金を使うことが大切

島ではスーパーや市場があります、しかし島民生活に必要なものがなんでも揃う訳ではありません。
しかしGreensLifeの基本は手作りですから、買い物はお店の仕入れと生活の必要最小限度になります。
都市部にいるよりもお金は使いません。
お店の仕入れは、できるだけ島内で購入が循環型の基本ですから、惜しみなく使って仕入れを行います。
必要なものも、市場でお願いして仕入れしていますから、収入の半分以上は島で使うようにしています。
おかげでさまで、市場ではいつも話しかけていただいたり、僕らの循環型を理解をしていただき、応援もしていただいています。
 
島でお金をできるだけ使うことで、市場で商売されている方々と一緒に商売が出来ること、すこしでも長く運営できる相思相愛の関係です。
島時間について
都市部でも過疎でも「時間がない」と言う方は多い。
過疎で時間があっても、行政や他者との関わりでは僕の時間の感覚が違うのか、やきもきすることが多い。
島でのんびりしているイメージもそういうことになるんでしょうね(苦笑)
主導権がこちらにあっても、時間は使われます・・・・。
 
そう忙しくもない毎日の中でうまく時間をやりくりし、そして誰かと過ごす、もしくは自分ひとりだけで過ごす。
そのちょっとした時間にありがたみを感じることが基本ですね、「時間がない」と感じているにもかかわらず、人一倍「時間を大事に」しています。
過疎でも時間の使い方や考え方は同じく大切なことです。
都市部で働いていた頃の自分は、生活の中心が仕事で、朝から晩まで、会社やお店で過ごしました。
 
当時の私にとって、家は寝るための場所。
職場に通いやすく、なんとなくの憧れだけで選んだ都会。
そうやって住んでいた街には、地域としての自治には関心はなく、自分自身の時間の余裕もありませんでした。
お金を稼ぐことが生活の中心になっていた都市部での生活に違和感を感じるようになっていた。
 
そして3.11の震災と原発事故で、これからの人生を自分はどう生きていきたいか」ということを改めて考えたとき、学生時代から憧れていた、自然に囲まれた地方での生活を現実的に考えるようになりました。
 

世界文化遺産があっても変わらない

観光地として2015年7月に世界文化遺産認定された「高島炭鉱」、その歴史は島民にとっては昔から語り継がれた歴史であり誇りでもあります。
しかしその時代よりも遥か昔から大海原を望む素敵な風景。
お金目的の仕事ではなく、島暮らしならば、暮らしの在り方を根本から考えるにはいいチャンス。
暮らしの在り方は人の数だけあります、ローカルのこの土地にあった生活、これまでの暮らし方働き方を改めて振り返えることで見えてくる、それがこれからの一番大切にしたい生き方だと思います。
 

「仕事は作るもの」8月でちょうど島に来て2年になる。

当初は都市部からの移住で「快適なくらし」には不向きな島であり、人口減少や商店の減少により、いっそう「不便」に拍車がかかっている島、本当にそうだろうか?
いろんなモノがなくなっていくと島民の意識と意見。過去の歴史ある大都市だったこの場所は、経済至上主義に踊らされ24時間眠らない大都会、お金が稼げてモノの豊かさが生活に潤いを与え、それが人生の目的となっていた。
が・・・・閉山後は生活には向かない、稼げない場所として人は離れていった。都市部の生活のように、まずは便利で不都合がない場所、仕事があり稼げる場所で生活する経済優先スタイル。
不便の中にある、不必要なモノや事、お金や経済へ依存しすぎない生活、地域循環型事業スタイルがGreens LIFEである。
・生活の場である環境から生活を見出そうとする。
・仕事がある場所から生活を見出そうとする。
・何もないところから生活を生み出す。

生活の場である環境から生活を見出そうとする。

時間の経過とともに変化していく環境この島の歴史を見て欲しい、生活の場である環境から生活を見てはいけないと感じる。
時間の経過とともに環境は変化する、その時はいいことだらけでも、時間の経過の環境の変化についていけるのかどうかが問題。
昭和の時代には「孫の代まで仕事は安定してる」とさえ言われた島である、それが30年で過疎化限界集落。
高島炭鉱閉山後の翌年の4月には島民は半減している・・・ここは稼ぐ場所で生活の場にはふさわしくないと感じたからだろう。
 

仕事がある場所から生活を見出そうとする。

お金の価値は下がり続けている地方から中堅都市部や都会への若者の流れは、まさしく仕事を求めての移動であり、ますます過疎と言われる場所からは若者がいなくなる。
今の日本の経済主義の結果である、しかし地方に企業の誘致で雇用を生み出すとの流れもあり、人口流失が止まることも微力ながら効果があるように思える。
しかしながら僕は地方の労働搾取と捉えているので、地方にとってはあまり好ましい政策とは思えない。
お金は人間が考え出した「便利な道具」と言われるが、お金がすべてを解決するわけじゃない。
 
昭和50年代残業も少しづつ長く深夜まで突入し始めた時期、僕はどんなに遅くとも20時までには帰宅していた、同じ世代も遅くとも20時には帰宅していたと思う(20時過ぎると労働基準法で夜食を提供しなければいけなかったとも言われている)
 
そしてパソコン導入で仕事が減ると思われた平成、昭和40年代から労働時間が減る事はなく、金額単位もピークも過ぎて給与も増える事もなく、お金も労働の価値も下がっている。
どんなに夢をみようがお金の価値は下がり続けている、だから労働時間も減る事もなく、時間ばかり長くなっている。
企業にとって便利な雇用の細切れのアルバイトや、社員並みの仕事の派遣社員など必要な時の時間労働しか残っていない環境・・・・・
企業は企業の理由で生き残りをかけての方法で終身雇用は無くなっている、未来はもう約束されない時代なんだね。
 

何もないところから生活を生み出す。

「すべての有形は無形から象ずる」この言葉を理解すれば人に喜んでもらえる仕事を産み出せる。
 
昭和の時代に青春を生きた僕だから、不便も不便と感じなかった、なければ作ればいい。
この場合は生き方の原点に「どう生きたいか」が必要となる。
夢や信念は普遍的であり時間軸には囚われない。
変わらない思いや夢こそ、ライフスタイルの柱と感じる。
 
2年前に「何もない」ことは「なんでもできる」「人口が減っていく」ことは「いろんなチャンスが巡ってくる」などポジティブに捉えていた。
20代から自営業で、自分の興味のあることを仕事としていた故の発想であった。
この海に囲まれた自然環境や都市部へのアクセスもフェリーで30分程度、近いところであれば10分、なんら都市生活者と変わらない環境だと自分は感じている。
 
僕の幼い頃は、近所に雑貨のお店は1つ、満足な品揃えでもなかったが、そこそこ必要なモノは買えた。
他に米屋・酒屋・肉屋・魚屋・八百屋など専門店、こうやって考えると、地域のお店はスーパーや大手の大型の影響なんだろうね、潰れていったのは、コンビニなども地域のおじさん、おばさんから仕事を奪っていったんだね。
「地産地消」って・・・・・地域の消費者も含めて意識を高めなければいけない、頑張ってた地域の職業を奪ったのも地域だと思うとなんとも皮肉だね。
 
僕らは海を渡り向こう岸までいく行為が「必要か?そうじゃないか?」をじっくりと考える時間がある。
そうすると必要なモノはあまり必要じゃなかったことを知る、欲しいモノは作れないかと思考は進化する。
手作りのは制作過程で楽しさを教えてくれ、子供には生の体験として教えてあげられ、子供との共有時間もおのずと増えていく。
いいことずくめだったのに、時間短縮で買ってくる、お金が掛かる生活、それが便利さに依存した生活。
 

仕事も手作りフリーランス。

自営業だった自分は、自らの決断でことを起こしてきた「自発能動」タイプ決定も自分、資本も自分で用意をする、最後まで責任がつきまとう自己責任。
なにがあろうが環境や相手のセイにしないのが基本。
島暮らしもいかなる環境であろうが、仕事を手作りしていくことは、現時点の既得権益者や島民の自営業者以外の仕事を生み出すこと人口減少故に現在の島民の必要な仕事を奪ってまで事業を行うべきじゃない。
まして現状この島の人口の少なさから、業種を分担して事業を行うことがまずは一歩じゃないかと思う。
まだまだ競争原理をこの島では行うべきじゃないと僕は思っている。
 
あくまで新参者として、島のニッチを見つけ出すことが2年間行ってきたこと。
不便には何かが足りないと気がつく事、都市部のようなものを始めるなんてことなら、都市部で行えばいい。
 
生活費があまりかけずに生活するスタイルの島の環境にあった、必要最小限度の自営としての規模で十分である。
決して難しいことじゃなく、島で暮らすうえで自分が欲しいモノを作り出すことだと思う。
初めてこの島に訪れた時に「コーヒーが飲みたい」「パスタやイタリアンが食べたい」「マリンレジャーを行いたい」など、島にはないことばかりだった、それも最小限度の希望である。
缶コーヒーなどで満足できるはずもなく(笑)
それが島を訪れる観光客も同じであると知り、ならば喫茶店や島の先輩方のメニューにぶつからない飲食店が欲しいとGreens CafeやBlueCAFEを開店。
10代から喫茶店やフレンチのお店でアルバイト経験があった飲食業なので、苦労はしていない。
1年目GreensCafeでしたが、路面店希望だったがなかなか小さな島には物件がなく、たまたま空いていた海の家を喫茶店代わりに使用した。
 

孤立を専念出来る環境と思え

最初のお店「GreensCafe」はシーズン以外も営業をしていたが、経費がかかりすぎることと、なにかにと制約があったり、海の家を行うにあたり絶対条件の開店前に支払う、委託管理を受けている団体への18万円の加入出資金も、結局会議などすべて理事会という既得権益者たちの島の御前会議的な場所に呼ばれれることもなく、すべてはそこで決定されており排除と孤立を感じた。
 
毎月の会費徴収され出している意味すらもなく、無駄にお金ばかりを取る嫌がらせと判断し、GreensCafeは閉店した。
その後その店は既得権益者グループ運営となっており、絶対条件だったはずの開店前出資金もなくスムーズに海の家を運営されている様子です。
こういうことがまかり通るパワーバランスが偏りすぎていることが、島の問題を解決できない弊害になっている。
炭鉱の繁栄をした昭和の時代を生きた方々の経験では、今の時代を乗り切りることは困難を極める。

他力本願的自営は危険である。

使われることに慣れ、気がついていないことはかわいそうでならない、今がよければいいとか、それが安定に繋がっていると思っているなら危険である。
 
この島を変えたいと思うなら、既得権益者も行政も根本から思考を変えなければならない。
僕自身は「島のために」活性化など興味はない、島民として幸せな生活ができればそれでいい、他人の事業にも興味がないんです。
 
現在釣り公園ないで島内島外の方々と情報交換の場所として、議論や情報を得て今の活動につながっている、社交場としての役目を継続して「BLUE CAFE」で行っている。
 
マリンレジャー防災など地域貢献とつなげる活動へと続く・・・・
2015年6月29日 14:14
Q.どうやって過疎で食べてるの、仕事は?
  
A.自営で工夫しながら生計を立ててます。現在移住開始から2015年6月29日現在就職はしていません。今は仲間の氏家くんと飲食店の運営とカヤックのレンタル事業、Aくんは夜間の警備の仕事の依頼を昨年僕らの団体へ依頼があり、受諾し団体として引き受けました。自分自身はGreensLiFEの構築アクションなどの他にホームページ製作などのNET系の仕事も行ってます。私自身中学の新聞配達から高校時代までアルバイト各種経験しており、飲食店もスキルがありました。福島時代はライブハウスなど飲食も行っていましたので、苦労は仕入れ以外ありませんでした。お店も長崎市保有の釣り公園内で営業ですから、不動産屋を必要としないため、初期投資も最小です、ここの場合敷金礼金前家賃がないってことです。
 
例年4月から10月末までが島の観光シーズンで、「半年働いて半年遊ぶ」がスタイル
そのシーズン期間にゆっくり稼ぐって感じです。
今年はさらに8月から稼ぎすぎって言われるほどに収入が増えてく事業がひとつ増えます。
 
前回島の雇用については、既得権益者とは組みせずとも、自営展開ができると書いた通り、民間として行政に頼らず頑張っています楽しみながら(笑)
「なぁ~んもない島、仕事もないのになんで来たと?」と言われてました、今もだけど(笑)自営業の長い僕には「何もない」は「何でもできる」って解釈です。
「高齢化も進みどんどん人口も減っていくんだよ?」は、「高齢化の先には競争相手がいなくなる」そして「最小限度必要な仕事が必ず出てくる」
「いづれ経済が回らなくなっていくんだよ」それは「環境に左右されず、依存しないで自立した生活が可能になる」って解釈、ことごとくポジティブです。
 
時間は命の単位である
仕事をして収入を得ること、そしてそのお金で生活していくが基本の先進国日本。
当たり前の経済主義の中にいればお金中心で回ります、行動もお金のため、生活もお金のため、老後もお金が頼り。
いまを生きるのも、将来に生きるのもお金が中心で現実には「いまを生きていない」
 
そこで色々考えた・・・・
住んでいる場所で必要な収入が決まります、だから離島などお金を使えないくらいにお店がないことは、いい環境なんです。ないものは「手作りする」が基本のGreensLiFEですから、お店も自分で廃材利用で作る、パンも野菜も手作り。時間はたくさんあることに気がつきます、都市部は仕事に時間が割かれて自分の時間すらないんです。
余暇もお金をかけないと遊べないんですよね。
ここの自然の環境にはお金は必要なく、いつでも自由に遊ぶことが可能です。
 
何もない?本当ですか?
過疎で限界集落で産業もない、ただ人口が300名くらい。ただそれだけなのですが、希望や夢は生み出すことが可能です。
ここには歴史と自然環境があります。ゆっくり心を癒してくれる場所が存在します。今後人口「0」ってあり得ないって思ってます。
人が遊びに来てくれない島には絶対ならないでしょうね。
 
ならば今から島の魅力が増すように自力でできるとこまでやってみようと移住前に考えました。
飲食店が少なすぎるならば、飲食店GreensCafeを。
島なのに魚が買えない、ならば魚を釣り上げましょう。
畑があるなら野菜が作れるじゃないか。
フェリーが来なくなったら・・・・6月に船舶免許を取得しました。
水上バイクの免許も同時に取得、なのでさらにマリンレジャー事業の幅広い活動出来ます。
 
すでに「じゃらん」さんや「アクティビティジャパン」さんとシーカヤックレジャー提携を7月から始めます。
楽しい島でゆっくりと島民も訪れる方も体験できる環境にしちゃえばいい。
炭鉱時代のことを知る島民には下り坂の中でもがいているのでしょう。
島民感覚とは真逆の捉え方をしてるので、島の現状も見え方が違うんですよね。
長崎市や長崎県へも違った見え方してますよー。
移住した島が魅力溢れる島と僕らは感じてます。・・・・・つづく
2015年6月27日 10:18

外から来た人の意見をと言われ・・・・

  
少子高齢化・過疎などの解決に新移住者の意見をと言われます。いい気になって「あそこが」「ここが」「改善とか」などドシドシ感じるままにおしゃべりするとうまくいきません(苦笑)残っている既得権益を守り奪われないようにするための人間が存在する事に気がつかなければいけません。
 ましてや便利な都市部とは違い同じように便利なまちづくり提案はローカルの環境を壊してしまいます。
ここは歴史ある場所であり、国策であった炭鉱という昭和の時代を担った地。過疎が進み行政事業ばかりになり、委託される事業がほとんどで、積極的な多くの既得権益確保者が存在する。
 
島の経済の現状は助成金で機能している島であり、そのほとんどの施設は長崎市保有。その委託管理事業の管理も合併後からの随意契約などでマンネリの上、活気がない。
その原因は目に見えないチカラが存在するからである。
委託事業の黒字化など考えもせず、ただ助成金を食いつぶしながら島の経済が保たれ、閉山から29年も過ぎ、現状を変えることすらも夢物語。
残る島民も仕事の確保が単純な税金投入事業の確保、そして島民の雇用という名の下に行われている。
現実人口減少は切実な問題で、その中に働き手の少ないのも問題としても、積極的な事業展開や島へ投資を行うものなど皆無に等しい。
税金投入事業の獲得は必死で行政にあれやこれやと足繁く通っている状況を何度も目にする。
経済を根本に据えた考えの方には「お金」は必死に取りに行く姿は、とても島暮らしのイメージに合わないね(苦笑)
 
そんな方からの意見募集も、僕らがいい気になって話しても、「味方か?」「敵か?」の判断材料にしかしない。
その方にとって使える人間か、邪魔な人間かの選別をされていただんだろうなぁ~としか考えられないことばかりの移住2年目です。
 
そこで僕らは・・・・
島入りしてから、事業を営む方々よりも、島民である地域の方とのフレンドシップが何より大事と思って活動してました。また島のいろんなことを知りたかったので、質問したり聞いて回った。
そこには様々な利害関係が存在する、沢山のグループがある。
誰と話していたとか、あの人はどうだとか(笑)まぁ噂話の域を出ないような話が多いので、できるだけ本人との会話を大切にしてました。
人口減少のひとつに、噂話などで疲れる、孤立させられるなどの問題もあるように感じます。
 
行政ってなんだろう?
当初なんでも相談に行政へ出向いて、希望や要望を申し入れした。
見事に期待を裏切ってくれて「ありがとう」自力で行動していくしかないと思わせていただいた。
 
行政がらみの企画会議や助成金目当ての会議など様々関わらせていただいたが、出来レースよろしく影の提案者の思惑通りの結果に持って行かれる。
突発的な質問も言い訳がましい回答、文書で企画など申請するも、口頭で回答したいと無理やり仕事中に回答を話しそのまま帰る(大笑)ようするにある団体に入り、子分のようにしなければ企画は通らない。
子分になるとは島のいいように使われることを受諾しなければいけない、そうすればいろいろやってあげますよってことだったらしい。
 
島民の意見をどう行政は思っているんでしょうね?
いわゆる、癒着や談合がまかり通ってるんですね。
島民からの意見は抹殺で文書に残さない、すべて言葉で伝えて記録に残さない。
(事案のなかには本庁まで話は言ってないんだろうね)
 
結局行政は島民のことよりも、地域活性化など助成金獲得や行政マンの実績作りにやっきであり、失敗やクレームは存在しないもみ消し。
長崎行政の方には耳が痛いかもだが「リテラシー」がないようなもんです。
 
責任の所在もいい加減であり、すべて居ない誰かのせいにして、時間稼いでそのまま知らんぷり。
小さな過疎の島では「行政が島民個人の意見を取り上げてくれるか?」取り上げてくれたら信頼できる人がいる行政じゃないですかね。
国や自治体に裏切られて島に来た私、国の出先機関の自治体を期待はするものの、信頼まではしてません。
ただ、一人でも耳を傾けてくれる職員さえいれば、いろいろ快適になることは間違いありません。
私自身自営業が長いので、行政の付き合いもあまり上手ではありませんが、決定権のない方とは時間ばかり浪費する、それは民間でも一緒ですが(笑)
 
行政とは上手におつきあいできることはいい事だと思います。
しかし、助成金ありきの思考の方とは根本的に考え方は違うので、行政を必要としないやり方は他にいっぱいあることも現実です。
 

過疎でのビジネス

 
地方ローカルへの注目の話題が多くなっています。
商売も一長一短よりも、そのローカルを知る事から始まります。
衰退していくことの問題点ここであれば、産業の衰退→人口減少や高齢化などでお店の売り上げ減少とお店の老朽化に伴い店主の高齢化、病気など原因は様々ですが、もともと炭鉱時代に稼ぎに訪れる場所だったわけです。
炭鉱時代の眠らない大都会だった島は閉山後すべて減少・・・・つづく

 風の移住者・土の島民

2015年6月27日 10:18
外から来た人の意見をと言われ・・・・
  
少子高齢化・過疎などの解決に新移住者の意見をと言われます。いい気になって「あそこが」「ここが」「改善とか」などドシドシ感じるままにおしゃべりするとうまくいきません(苦笑)残っている既得権益を守り奪われないようにするための人間が存在する事に気がつかなければいけません。
 
ここは歴史ある場所であり、国策であった炭鉱という昭和の時代を担った地。過疎が進み行政事業ばかりになり、委託される事業がほとんどで、積極的な多くの既得権益確保者が存在する。
 
島の経済の現状は助成金で機能している島であり、そのほとんどの施設は長崎市保有。その委託管理事業の管理も合併後からの随意契約などでマンネリの上、活気がない。
その原因は目に見えないチカラが存在するからである。
委託事業の黒字化など考えもせず、ただ助成金を食いつぶしながら島の経済が保たれ、閉山から29年も過ぎ、現状を変えることすらも夢物語。
残る島民も仕事の確保が単純な税金投入事業の確保、そして島民の雇用という名の下に行われている。
現実人口減少は切実な問題で、その中に働き手の少ないのも問題としても、積極的な事業展開や島へ投資を行うものなど皆無に等しい。
税金投入事業の獲得は必死で行政にあれやこれやと足繁く通っている状況を何度も目にする。
経済を根本に据えた考えの方には「お金」は必死に取りに行く姿は、とても島暮らしのイメージに合わないね(苦笑)
 
そんな方からの意見募集も、僕らがいい気になって話しても、「味方か?」「敵か?」の判断材料にしかしない。
その方にとって使える人間か、邪魔な人間かの選別をされていただんだろうなぁ~としか考えられないことばかりの移住2年目です。
 

そこで僕らは・・・・

島入りしてから、事業を営む方々よりも、島民である地域の方とのフレンドシップが何より大事と思って活動してました。また島のいろんなことを知りたかったので、質問したり聞いて回った。
そこには様々な利害関係が存在する、沢山のグループがある。
誰と話していたとか、あの人はどうだとか(笑)まぁ噂話の域を出ないような話が多いので、できるだけ本人との会話を大切にしてました。
人口減少のひとつに、噂話などで疲れる、孤立させられるなどの問題もあるように感じます。
 

行政ってなんだろう?

当初なんでも相談に行政へ出向いて、希望や要望を申し入れした。
見事に期待を裏切ってくれて「ありがとう」自力で行動していくしかないと思わせていただいた。
 
行政がらみの企画会議や助成金目当ての会議など様々関わらせていただいたが、出来レースよろしく影の提案者の思惑通りの結果に持って行かれる。
突発的な質問も言い訳がましい回答、文書で企画など申請するも、口頭で回答したいと無理やり仕事中に回答を話しそのまま帰る(大笑)ようするにある団体に入り、子分のようにしなければ企画は通らない。
子分になるとは島のいいように使われることを受諾しなければいけない、そうすればいろいろやってあげますよってことだったらしい。
 
島民の意見をどう行政は思っているんでしょうね?
いわゆる、癒着や談合がまかり通ってるんですね。
島民からの意見は抹殺で文書に残さない、すべて言葉で伝えて記録に残さない。
(事案のなかには本庁まで話は言ってないんだろうね)
 
結局行政は島民のことよりも、地域活性化など助成金獲得や行政マンの実績作りにやっきであり、失敗やクレームは存在しないもみ消し。
長崎行政の方には耳が痛いかもだが「リテラシー」がないようなもんです。
 
責任の所在もいい加減であり、すべて居ない誰かのせいにして、時間稼いでそのまま知らんぷり。
小さな過疎の島では「行政が島民個人の意見を取り上げてくれるか?」取り上げてくれたら信頼できる人がいる行政じゃないですかね。
国や自治体に裏切られて島に来た私、国の出先機関の自治体を期待はするものの、信頼まではしてません。
ただ、一人でも耳を傾けてくれる職員さえいれば、いろいろ快適になることは間違いありません。
私自身自営業が長いので、行政の付き合いもあまり上手ではありませんが、決定権のない方とは時間ばかり浪費する、それは民間でも一緒ですが(笑)
 
行政とは上手におつきあいできることはいい事だと思います。
しかし、助成金ありきの思考の方とは根本的に考え方は違うので、行政を必要としないやり方は他にいっぱいあることも現実です。
 

過疎でのビジネス

 
地方ローカルへの注目の話題が多くなっています。
商売も一長一短よりも、そのローカルを知る事から始まります。
衰退していくことの問題点ここであれば、産業の衰退→人口減少や高齢化などでお店の売り上げ減少とお店の老朽化に伴い店主の高齢化、病気など原因は様々ですが、もともと炭鉱時代に稼ぎに訪れる場所だったわけです。
炭鉱時代の眠らない大都会だった島は閉山後すべて減少・・・・つづく

 離島暮らしを始めてみて

2015年5月30日 12:46
離島に移住して家族に笑顔が戻り、自然と家族の会話も増えてます。
  
離島高島に移住して約2年ですが、時折今でもハッっとしたりです(笑)。
今は“島民”として生活をしています。
島暮らしは時間の流れが都市部とは違うので、あらゆる価値観やものを見る視点も変わったなぁと感じます。
 
家族であっても仲間であってもそれぞれが自分の時間を確保することを大事にしています。
昔は仕事第一で遅くまで働いて稼ぐことがいいことと思っていた。
しかし震災や原発事故を経験し、今は家族の時間や自分自身の時間を大切にするっていうことが基本になってます。
関わりあう人同士がお互い尊重しているので仕事の概念もすっかり変わりました。
家庭においては、一番小さなこどもに歩調を合わせて早寝早起き、早朝5時や6時には起きて、その日の計画をたてたり、勉強のため読書だったりしています。
 
そのお陰か家族の雰囲気が柔らかくなりました。
娘に関しては幼稚園に通いだしてから、今日の1日のお話を聞いたり、夕食は家族が揃って早めに済ませて、遊んだりしています。
来客もありますが、遅くなっても9時にはみなさんこどもに気をつかって帰宅して頂いてます。(笑)
 
こういうライフスタイルは、自然と家族の会話も増えますし、優しくなる感じです。
何でもない家族の時間もぐっと深く焦る気持ちもなくなり楽しんでいる気がします。
もうそこは都市部にいるときとは大きく様変わりしました。
 
都市部での生活は、お金を稼ぐことにあくせく生きてましたが、いまはそこまでしなくても、それ以外に大切なことに気がついたのかなって思います。
この年齢もあって不安も、もちろんありましたが、このタイミングで新しい生活を、(昔の場所を離れて・離スタート) 離島でReスタートさせたことは正解だったと感じます。
 
いま振り返ると、もともと決して真っすぐに歩いてきた人間ではなく、いろんな体験を経験として若い頃から自立心旺盛だったことが生かされているのかなと思います。
 
想像し得ない自らの意思とは関係ない原発事故に遭い、辿り着いたのが現在の離島暮らしであり、いまそのような穏やかな気持ちで暮らしていくことができる。
あの時時間をかけて悩み苦しみ考えて、辿り着いたが場所がここで良かったなと思っています。
 
新しく始めた挑戦LiVE+LiFE+LoCAL「GreensLife」をこの場で発表していきます。
 
僕らのGreensLifeをお楽しみください!

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〜大地にやさしい農業のために〜
有機農業をはじめとする“大地にやさしい農業”を応援する活動

ナチュラル アメリカン スピリットは「環境負荷への配慮」、「タバコ葉は農作物であり、大地からの恵みである」という想いからこの活動を行っています。

 

高島LOVERSも参加しています。
「捨てるという概念を捨てよう」
吸い殻ブリゲード
吸い殻回収プログラム
タバコの吸い殻は、通常焼却されるか埋立てられるか、 海岸や公園、歩道にポイ捨てされるかのいずれかです。 吸い殻のフィルターは新しいプラスチック製品にリサイクルされ、タ バコの葉と紙の部分はコンポスト、肥料として再利用されます。
高島LOVERSも参加しています。
「一緒に回収しましょう!」
 
一緒に海を綺麗にしませんか?
海をきれいに保つために、硬質のプラスチックの回収をしております。